ヨーキー椛(もみじ)、ドッグダンスするよ!

顔も体も態度もでかいヨーキーの女の子、椛(もみじ)のドッグダンスやお出かけ、さりげない日常の出来事などの記録です。

ヨーキー椛(もみじ)の物語~15.番外編・調布市飛田給に住む理由~

我々夫婦は、犬によって思いがけない世界の広がりや出会いがありました。
今回は、我々が住む街に来るきっかけについての物語です。


我々は、東京都調布市、京王線の飛田給(とびたきゅう)駅の近くに住んでいます。


飛田給駅は、グッドデザイン賞を受賞した近代的でお洒落な駅舎です。
近くには、FC東京や東京ヴェルディが本拠地とする味の素スタジアムなどのスポーツ施設があります。
サッカーの試合を始め、各種スポーツやコンサートが開かれにぎわいます。

私と妻は、もともとはお隣の東京都府中市の出身で、今も妻の実家は府中市にあります。
しかし、少々駅から遠いなど立地が悪いのと、敷地内に駐車場が無く、月ぎめ駐車場まで数分歩かねばならないなどの事情がありました。
お互いの通勤にも不便である等の諸事情により、我々は賃貸を借りて引っ越すことにしたのです。


その時我々は病弱なシニア犬、ミニチュアシュナウザーのチェリーを飼ってました。
そのため、愛犬と一緒に暮らせる物件である事が必須条件です。
ネットで事前に調べたところ、思っていた以上にペット可能な物件は多く、これならすぐに決まるだろうと考えていました。


我々は当初、京王沿線が最低条件で、調布駅や仙川駅周辺から探したのですが、すぐに壁につき当たりました。
適切な物件が見つからなかったのです。
現実は甘くなかった!


具体的に言うと、ペット可能な物件の多くは”それなりの訳”がありました。例えば、
駅から遠い。(20分近くかかる所もありました)
駐車場がない、もしくは遥かに遠い場所にある。
日当たりが極めて悪い。
目の前の道が危険で、老人、子供のいる家庭はみな敬遠する。(それでペット可能にした様です。犬にとっても危険だと思うのですが・・・)
線路わきや工場の隣など騒音がする。(うるさい音が苦手な普通の犬にとって最悪な環境です。これでなぜ小型犬OKで募集するのか意味不明でした。)
とにかく古い、清潔感がない。だから普通の借り手がつかない物件。(そもそも、犬を飼っている人はきれい好きが多い。まあ、例外も多々あるが・・・)
タバコ臭い。(だから犬臭くなってもOKという事らしい。不動産屋にも、犬を飼っているのに臭いを気にするのか的な事を言われました。言語同断です。人が気にするんじゃない、人もそうだが犬が気にするって言ってるんだ!!)
半地下の部屋で暗い、窓も小さく換気もしにくい。(犬も人も鬱になりそう。)


ようやく仙川に一軒物件があったのですが、賃料が何かの間違いかと思う程お高い。お洒落な物件でしたが、手が出なかった。


そして、疲れ果てた我々に、ちょっと違う駅ですが、といって紹介されたのが飛田給の物件でした。
当初、飛田給は全く考えにありませんでした。
しかし、ダメでもともとで物件を見に行ってみると・・・


外観は思わず『昭和か!』と突っ込みたくなる、オレンジがかったレンガ色のタイルをあしらった三階建て、エレベーターなしの最上階。
しかし、中は清潔で広々。
何しろ日当たり抜群。
あと、意外と静かな環境。
人も見かけによらず、物件も外見によらず、と思い、ここにする事にしました。


次いで、大家さんと面接。とても気さくな親父さんです。
大家さんは、もともとこの土地の地主さんでした。
そして話の流れで、
『私たちは、飛田給にはサッカー観戦でよく来るのでこの辺りは知っていました』
と言ったところ、
『へー、サッカーお好きなんですね。私もです。FC東京、今年は優勝してほしいよね。』
と、目を輝かせて話だしました。


どうやら我々は、同じサッカーファンとして大家さんに気に入られた様です。
最も大家さんは、サッカーファンとしてというよりも同じFC東京を応援する者として気に入って下さった様でしたが。
ちなみに、我々がサッカーで味の素スタジアムに良く来るというのは、ジュビロ磐田と日本代表戦での事です。
しかし、その場の雰囲気で、我々はついつい、『ジュビロ磐田のサポーターです』
と言いそびてしまいました。

ちなみに、後日、味の素スタジアムでのジュビロvsFC東京戦の時に、マンションからジュビロのレプリカをバッチリ着込み出陣の我々夫婦は、廊下で大家さんと遭遇。
それを見た大家さんから、
『その姿は・・・、敵だったんだね。こいつは、南米だったら大変な事になってたね。』
と冗談で言われました。


ジュビロサポーターと判ってからも、大家さんには本当に良くして頂きました。


飛田給に住んだ当初は、一時的な仮住まいで、その後ゆっくりと希望の土地の物件を探すというスタンスでした。
しかし、徐々にこの街が好きになっていく自分がいました。


飛田給で最初に借りたマンションで、我々は、最愛の犬であり、娘であるチェリーと落ち着いた日々を過ごして、最期を看取る事が出来ました。

チェリーが亡くなってから、我々はもっと便利の良い場所に引っ越す選択肢もありました。
通勤や日々の買い物を考えれば、便利な街はいくらでもあります。
しかし、チェリーとの思い出が詰まったこの街に、どことなく愛着があったのと、大家さんがとても良くしてくれていたのもあり、飛田給に住み続けました。


そして、同じ大家さんが最初のマンションの近くに持つ、別の物件に移り住みます。
チェリーがいない分、ちょっと小さ目の、しかし、眺望が最高のマンションです。
『ここは、最後の賃貸になる事の多い、特別なマンションだよ。最高の住み心地で、とにかく引っ越したくなくなる。だから、ここから出ていく場合は、たいがい自宅を購入して出ていくね。』
大家さんは、こんな事を言っていました。
確かに、今まで暮らしてきた中でも最高の物件です。大満足でした。


我々夫婦は、この飛田給という街を大好きになって行きました。
そしていつしか、他の駅の物件を探す事をしなくなっている自分がいました。


この時、我々は犬を飼っていなかったのですが、大家さん自身が犬好きなため、我々の住むマンションを含めすべての物件で小型犬が飼育可能でした。
つまり、我々は、思い立ったらすぐにでも小型犬なら飼える条件が整っていたのです。


そして月日は流れ、ある日の昼下がり。
トイレの電球が切れて、予備もなくて。
ホームセンターに買いに行ったら、そこに・・・。


こうして、椛との出会いと繋がっていくのですが、その時の我々にとっては『それはまた別の物語』でした。
やがて我々家族のふるさととなる土地での、優しい時間が刻まれていったのです。


ヨーキー椛の物語の続きはこちら。


最初から読むにはこちら。

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