ヨーキー椛(もみじ)、ドッグダンスするよ!

顔も体も態度もでかいヨーキーの女の子、椛(もみじ)のドッグダンスやお出かけ、さりげない日常の出来事などの記録です。

今日は何の日~5月12日『ナイチンゲールデー』~

1920年=大正9年に、ナイチンゲール生誕100年を記念し、赤十字社が彼女の誕生日である5月12日を『ナイチンゲールデー=国際看護の日』として制定しました。

近代看護の基礎を築いたイギリスの看護師フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820~1910年)の功績を称えることが目的の記念日です。

フローレンス・ナイチンゲールは、1820年5月12日、貴族階級の両親の2年間の新婚旅行中に、イタリアのフィレンツェで生まれました。
名前のフローレンス=Florenceは、イタリア語のフィレンツェ=Firenzeを意味する英語です。
フィレンツェの語源は、ローマ神話の花の女神フローラ=Flōraに由来しており、フローレンスという名前自体が花に由来するロマンチックで素敵な名前と言えます。


彼女の家庭は裕福であり、フランス語・イタリア語・ラテン語などの外国語、経済学、数学、天文学、美術など高い教育を受けて育ちます。
しかし、後に貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにして、人の役に立つ仕事がしたいと思うようになり、当時、もっとも下賤な職業のひとつと考えられていた看護婦となります。


その後ナイチンゲールは、1853年から1856年の間にクリミア半島などで行われたクリミヤ戦争の野戦病院に赴き、負傷兵たちへの献身的な看護活動に従事します。
その一方で、清潔の概念や栄養の重要性などをはじめとした看護の在り方を改革します。
その結果、看護の重要さと貴さを社会に広く認識させすことに成功します。
また、数学を得意とするナイチンゲールは、統計に基づく医療衛生改革を行い、成果をあげます。
本国イギリスではナイチンゲールは、看護師としての名声よりも、看護・医学統計学の先駆者として見ている人も多いのです。


クリミア戦争後、帰国したナイチンゲールは、1860年、ロンドンの聖トーマス病院にフローレンス・ナイチンゲール看護師助産師学校を設立します。
これが純粋な看護学校設立の先駆けであり、現在は、ロンドン大学キングス・カレッジ・ロンドンの看護学部のとなっています。


現在もその精神は同校で生き続け、聖トーマス病院の敷地内にフローレンス・ナイチンゲール博物館が残されています。

ナイチンゲールは、多くの名言を残していますが、その中でも、パパが好きなのは下の言葉です。


I attribute my success to this: I never gave or took any excuse.
~わたしが成功したのは、絶対に言い訳せず、言い訳を受け入れなかったからだ。~


ナイチンゲールが看護というものにいつから惹かれて行ったのかは諸説あります。
その中でも、有名なものは、幼いころにけがをした犬を助けたことがきっかけであったというものです。

これは、ナイチンゲールの伝記で多く取り上げられているので御存じの方も多いかと思いますが、下に載せておきます。


『ある日のこと、フローレンスが馬で野道を走っているとき、汗だくになって羊を追う老人と出会う。
わけをたずねると、番犬が足を骨折して死にかけているので、自分が番犬の代わりに羊を集めているのだという。
フローレンスは、早速家へもどると、薬を手にして老人の家を訪れ、苦しそうに横たわった犬の手当てを始めた。
それからというもの、毎日のように犬を看病し、とうとう元のように元気な姿にもどしたといわれているのである。』

ナイチンゲールの統計的手法を用いた看護改革は、現在のウィルスに対する疫学手法となり、新型コロナウィルス感染症の対策にも活きています。
それにしても、フローレンス・ナイチンゲール、凄い人です。

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