ヨーキー椛(もみじ)、ドッグダンスするよ!

顔も体も態度もでかいヨーキーの女の子、椛(もみじ)のドッグダンスやお出かけ、さりげない日常の出来事などの記録です。

犬とお出かけ~『福泉寺 首大仏』湯河原駅・静岡県熱海市~

神奈川県の温泉街、湯河原。
我が家のヨーキーの女の子、椛(もみじ)さんとお出かけです。
湯河原の川沿いを朝のお散歩です。

川を渡った対岸にあるのがこのお寺。

『福泉寺』という由緒正しいお寺です。

お寺の建物が見事な茅葺屋根です。

本堂の横に、こんな仏像がありました。

阿吽を従えた、陶器製の大仏『首大仏』です。

この首大仏には、下のような由来があると伝えられています。
『この釈迦如来像が建立されたのは、江戸時代に、尾張名古屋藩主 ・徳川家三代光友公(1625年~1700年)の時代です。
光友公の父・義直公がある日、鷹狩りに出られた帰路のこと、耳の遠い老婆が道端で行水をしていた。その家の娘が慌ててタライごと老婆を奥へ運び去った。義直公は娘の咄嗟の行為と機転に感激し、娘に御殿奉公を命じた。やがて娘は義直公との間に光友公を身籠り、月満ちたとき自ら腹を切り光友公を誕生させた。
光友公は、自分のために絶命した母の菩薩を供養する為、後に瀬戸で陶製の大仏を造った。
時代の変還でこの像は幾多の地を廻り、この福泉寺に安置され現在に至るとの事です。


なんとも壮絶な話ですが、史実は多少異なる様です。
この娘というのが、義直公の側室で法号”歓喜院”と呼ばれる女性で、本名をお尉(じょう)のお方、と呼ばれる女性です。
このお尉のお方は、言い伝えの様に母親ごとたらいを運ぶことが出来るほど、とても立派な体格でした。
お尉のお方は光友を1625年に普通に出産します。
お尉のお方が江戸で亡くなったのは1634年で、法号が 歓喜院となりました。
まあ、いずれにしても、光友は9歳という幼い時期に母親を亡くしたわけです。
光友公は、生母の恩を忘れず、1661年に愛知県に大森寺(だいしんじ)を建立し、この首大仏を建立したとの事です。
その首大仏が縁あって、湯河原の地に移され、現代に至ります。


この大仏様、タイなどの大仏の様なエキゾチックな外観を持ち、とても300年以上経つとは思えない素晴らしい像です。
湯河原に来た際には、訪れると良いでしょう。


あと、湯河原は神奈川県ですが、川を越えた『福泉寺』があるのは、静岡県熱海市です。
椛さんと、県をまたいだ朝のお散歩でした。

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