ヨーキー椛(もみじ)、ドッグダンスするよ!

顔も体も態度もでかいヨーキーの女の子、椛(もみじ)のドッグダンスやお出かけ、さりげない日常の出来事などの記録です。

今日は何の日~6月18日『移民の日』~

今日、6月18日は『移民の日』。
1908=明治41年のこの日、日本からの移住者781名を乗せた移民船『笠戸丸』が、ブラジルに到着したことを記念してJICAにより制定されました。

日本人の海外移住の歴史は、江戸幕府の政策であった海外渡航禁止令=鎖国令が1866年解かれ始まりました。


当初の移民は、ハワイ王国における砂糖きびプランテーションへの就労に始まります。
日本からの最初の海外集団移民とされるのは、1868=明治元年にハワイへの移民団=元年者153名です。
彼らは、江戸幕府が結んだ契約に基づき、明治新政府からの承認は得ないまま、ハワイへ向かったと言われます。
その後1885年からは明治政府公認の移民となり、総計約22万人の日本人がハワイに移住しました。
その結果、1920=大正9年には、ハワイの人口の約40%を日系人が占めるまでになりました。


続いて移民先は、アメリカ、カナダといった北米、その後1899年にはペルー、1908年にはブラジルへと日本人海外移住が始まります。
その後1924年にアメリカ合衆国で日本人の移民が実質的に禁止されると、移民先は北米から南米へと移っていきました。

ブラジル移民については、当時の大日本帝国政府が海外移民推奨の立場をとっており、そのため上記の様なポスターを作り、開拓地での夢のような生活が出来る様なうたい文句での宣伝を行いました。
しかし、移民たちの多くは、それとは大きく異なる厳しい環境での生活を強いられました。笠戸丸でブラジルにたどり着いた移民たちも、コーヒー農園に送り込まれましたが、待遇や賃金の悪さから、帰国を申し出る者や脱走者が相次いだそうです。
しかし、残った移民たちは次第に日本人ならではの勤勉さを発揮。多くの人々が成功していきます。
その結果、多くの日本人が自営業の農家として独立し、1919年には初の日系農業組合ができるまでになりました。


ちなみに6月18日は、ブラジルでも『日本人移民の日』とされています。
ブラジルの日系人を中心に、けっこう祝典など開かれている様です。
この様に、移民が母国と移住先両方で祝われるのは素敵な事です。
今後も、日本とブラジル両国の友好が続くと良いですね。

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