ヨーキー椛(もみじ)、ドッグダンスするよ!

顔も体も態度もでかいヨーキーの女の子、椛(もみじ)のドッグダンスやお出かけ、さりげない日常の出来事などの記録です。

椛とドッグダンス~ドッグダンスの功罪・その2、規律の獲得について~

ドッグダンスをすることのプラス面とマイナス面を考察する事をしています。
題して”ドッグダンスの功罪”です。


前回、東洋医学的に見た観点から見た精神の発達についての話をしました。
東洋医学では、人間の精神には『魄(はく)』と『魂(こん)』という2つのものが存在するとされています。


生まれた時には”魄(はく)=本能的即物的欲望”のみが存在するが、成長とともに”魂(こん)=理性的で崇高な感情”が生じて魄(はく)をコントロールするようになる。これが精神発達とされています。


犬に関しての躾も、後天的に魂(こん)を造りだし、自制心を備えた精神状態を造るという面があります。
人間の場合は社会的に自立するために、高度な魂(こん)の獲得が必要となるために、厳しい子育て、教育が行われるが、犬の場合は、社会的な自立が要求される訳ではないので、どの程度の躾が最適なのかという話でした。


今回は、その続きです。
犬の場合は、犬社会に於ける社会性という観点と、人間社会の中での社会性という両面から考えていく必要があります。


先ずは、犬社会に於ける魂の必要性は、犬が群れを統率するための規律という観点で考えて行く事が重要です。


そもそも犬が社会で生きていくためには、規律を守るという事がとても重要です。
自然界の中では、犬は一頭だけ孤立しての状態では生きていくのが難しい存在です。
群れを形成して、規律の許で助け合って生きていく。そのためには、犬社会に於ける規律の存在とその遵守が重要になります。
犬社会で生存に重要な規律は、親犬や群れの年長の犬が教えます。
人間社会に於ける子育てや教育ととても共通するものがありますね。


この様に共通する価値観を持つ存在同志として、人と犬は遥かなる昔から共存の道を選んだのではないかと言われています。


そうして、人間との共生の道を選んだ犬たちでしたが、それは、犬が人間社会に入る=人間社会のルールに従っていく必要性が出てくるという事です。


人間社会での犬が従わなければならないルールは、その犬の担う役割で大きく異なります。
職業犬であるのか、愛玩犬であるのかなどで大きく異なるのです。


警察犬や牧羊犬などは人命にかかわる仕事を担うため、より高い規律が求められます。
厳しい訓練が行われ、後天的に獲得する魂(こん)が高いレベルで必要となります。
最も高い魂が要求されるのが盲導犬です。
盲導犬が現役である限りは、魄(はく)による欲求は完ぺきなまでに魂(こん)によって封印されなくてはなりません。


盲導犬の忠実さ、我慢強さについては感動的ですらあります。
しかし、これは極限まで魂(こん)を高めて、無理をして魄(はく)を抑え込んでいく状況であり、その代償として盲導犬の寿命は短い傾向にあると言われています。


それに対して、家庭での愛玩犬に於いては、必ずしも高い規律は要求されません。
家族はもちろん他人や他の犬に危害や迷惑をかけない事。
飼い主が持つリードを振り切って逃走しない事。
これらのことは要求されても、自分で判断して自律的に行動する事は要求されません。
ましてや、その結果が人の命に係わる事はまず有りません。


そのため、愛玩犬などは、高いレベルの魂(こん)の獲得は要求される事はないのです。
犬の姿を見て癒される人間の心理からすると、魄(はく)が前面に出た無邪気に遊ぶ犬の姿は可愛くも微笑ましい、好ましい愛玩犬の姿です。
どのレベルの魂(こん)の獲得を目指すのが妥当かは、飼い主の考えによるところが多いため、標準というものはないのですが、一つ気を付けたい事があります。


後天的な魂(こん)の獲得のための躾ないし訓練はストレスを伴うという面があるという事です。
東洋医学的には、魂(こん)は肝(かん)に由来するとされています。
東洋医学で言う肝(かん)というのは、単に肝臓という臓器だけではなく、自律神経や精神状態をも含む存在と考えられています。
ストレスもまた肝(かん)に大きく影響するとされているため、注意が必要です。
ましてや、犬とは言葉でのコミュニケーションが出来ない分、慎重になる必要があると考えます。


ストレスになるから、いっさい躾をしませんなどというのは極論であり、どうかとは思いますが、その犬に応じた躾の程度や方法を模索する事は、飼い主として重要であると思います。


次回は、ストレスと肝(かん)についての話をします。


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