ヨーキー椛(もみじ)、ドッグダンスするよ!

顔も体も態度もでかいヨーキーの女の子、椛(もみじ)のドッグダンスやお出かけ、さりげない日常の出来事などの記録です。

椛とドッグダンス~ドッグダンスの功罪・その1、成長するとは?~

ドッグダンスを頑張る椛ですが、最近、我々夫婦はドッグダンスを始めた事に対するプラスの面とマイナスの面について考える事が多々あります。


その思うところを、”ドッグダンスの功罪”として綴っていきたいと思います。


ドッグダンスというのは、犬の発達、特に精神的発達が大きな意味を持つスポーツです。
ドッグダンスを習得する過程で、犬の精神状態がどう変化するかについて考えていきたいと思うのですが。
しかし、そこで大きな問題が。
我々人間は、犬の言葉が理解出来ないのです。
ではどうしたら良いのでしょうか。


このブログを読んだ方からご指摘いただいた事なのですが、子育てと犬の躾には驚くほど共通要素が多いとの事。
全くもって同意見です。
いつも貴重なご意見を頂いて感謝です。
自分の考えに少々自信が持てましたので、人と犬に共通する精神発達の事を東洋医学的な観点から見ていきたいと思います。


東洋医学では、人間の精神には『魄(はく)』と『魂(こん)』という2つのものが存在するとされています。
『魄(はく)』とは本能的即物的欲望である陰の働きであり、肺に関連します。
『魂(こん)』は理性的で崇高な感情である陽の働きであり、肝に関連します。


人は生まれたばかりの時は『魄』のみですが、成長と共に『魄』から『魂』が生まれて次第に『魄』をコントロールして行く様になります。


生まれたばかりの子供の精神は、魄のみで構成されているために、本能的欲望のみに支配されています。
お腹が空けば食べ物を欲しがり、暑さ寒さや痛みなどの不快感があれば泣き、そんな要素だけを持っています。


やがて、多少成長すると、魂が芽生えて、魄を抑制し、自制心が芽生えます。
お腹が空いても、今は我慢する。不快感があっても、状況を見て多少の我慢をする。
また、不具合を伝えるにも、泣き叫ぶのではなく会話などの手段で訴えるなどです。
犬であれば、食事を待て出来る。感情のままに鳴かないで、飼い主に静かに意思を伝えるなどをするようになるという事です。


そうして大人になると、魄は心の奥底に封印され、精神の表面に現れるのは魂のみとなります。これが分別のある大人という事ですね。
(たまに、酔っぱらうと魄が顔を出すオヤジなどもいますが・・・)
こうして、子供も子犬も成長していく訳です。


魄は生れながらに全ての人や犬に平等に備わっています。
食欲や生存本能を司る魄がない個体は基本的には存在しません。
それに対し、魂は、魄から自然に生み出されるとされていますが、その様子は、個々により大きく異なります。


魂は、自然発生による部分に加えて、後天的な要素による獲得の部分が非常に大きいのです。
この魂の後天的獲得を司るものが、子供の教育であり、犬の躾であると考えられます。


人であれ犬であれ、単に個体が生存するという面だけでみると、魂は自然発生の分だけで事足ります。
しかし、社会の構成員として社会に寄与するという点を考えると、自然発生の魂だけでは社会性を維持する事は出来ないため、後天的な魂を獲得する必要がある。これが教育であると考えられます。


犬にしても子供にしても、幼い頃の無邪気な様子は可愛いものです。
魄が顔をのぞかせる幼少期の姿は、見ていて微笑ましく、我が子が大きくなってからも、親の心に残っている大きな宝物です。


しかし、人間の場合、親は子より先に老います。
順当に行くと、親は子より早くにこの世を去ります。
そのため、残った子が社会的に生きていける様に、また、家庭を築くことが出来る様に、親は綿密に子育てをして、我が子に教育を授けるのです。
時には、子供のために、嫌われても、心を鬼にしてまでも・・・。


その点、犬の場合は少々状況が異なります。
犬は人間よりも遥かに早く年をとります。
多くの場合、犬は飼い主より先に旅立ちます。
可愛い、かけがえのない我が子ではありますが、飼い主は我が子を見送らなくてはならないのです。
また、社会的に自立した存在ではない犬に、どこまで後天的な魂の獲得の努力を行う必要があるのかもいろいろな考え、意見があるでしょう。


次回は、犬に於ける魂の獲得とストレスの観点からお話したいと思います。


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