ヨーキー椛(もみじ)、ドッグダンスするよ!

顔も体も態度もでかいヨーキーの女の子、椛(もみじ)のドッグダンスやお出かけ、さりげない日常の出来事などの記録です。

犬を飼うとどうなる?~オキシトシンの功罪?~


犬を飼うと、犬と飼い主に幸せホルモンであるオキシトシンの分泌が促進されるという事を以前のブログで紹介しました。

オキシトシンの濃度が上昇すると、犬と飼い主の絆が深まり、お互いに幸せを感じることができる。
素晴らしい事です。
また、オキシトシン濃度の上昇は、犬と飼い主のみならず、自分の周囲の人や犬に対する寛容性を高める効果もあります。


一見、素晴らしい事のみのオキシトシン増加です。
では、オキシトシン上昇にはマイナスの面はないのでしょうか?


オキシトシンはその薬理作用により、仲間と認識する間柄に関しては、絆を深めて満足感、幸福感が得られるという面があります。
その反面、コミュニティ外の人や犬については、阻害、排除の感情が増すという点もオキシトシンンの効果として存在します。


人間同士のコミュニケーションを例にとると判りやすいと思います。
オキシトシンを上昇させる効果があるコミュニケーションを重要視するのが例えばアメリカです。
小さなころからハグをしたり、手をつないだり。ビジネスでも握手を欠かしません。
(昨今は、コロナの影響で難しいようですが)
オキシトシンが上がる行為を、家族間でも地域や会社など自分が属するコミュニティでも重要視します。それがアメリカ社会です。


それに対して、日本は節度ある対応を良しとする国です。
基本的にはハグやキス、握手もしません。お辞儀です。
オキシトシン濃度を上げやすい行為の頻度は少な目の社会と言えます。
実際にオキシトシンが少なめではないかと予想されることに加えて、オキシトシン濃度の大きな変化が起こりにくいという面もあると思います。


アメリカと我が国の考え方などを見ると、オキシトシンの問題点が見えてくると感じています。


その一例をあげます。
アメリカのハリウッド映画などを見ていると、私はある違和感を感じます。
それは、過剰なまでの家族意識、コミュニティ意識です。


アメリカ映画でよく描かれる主人公は、一朝有事の際には家族を守るために悪者に銃を向ける事も厭わない。
それが映画の中の判りやすい悪者であれば、それも納得できます。
しかし、その対象は、しばしば一般市民や他の家族にも向けられます。
例えば、災害ものの映画などで、避難している途中で、自分たち家族が所持している物資を狙う他者を銃器を持って排除するなどのシーンは、映画の中とはいえ、強烈な違和感を感じます。
シュワルツネッガーやセガールの映画で、悪者に対してならば何をしてもOKという様な暴力的なシーンとそれに拍手喝采を送る観客。
私は強烈な違和感と一抹の後味の悪さを感じます。
日本人の多くは私と同じ感情を抱くのではないでしょうか。


これら過剰なまでの家族意識、コミュニティ意識の形成は様々な歴史的、文化的背景があるので一概に言えない部分はあります。
しかし、それらの意識形成の主要な要因の一つとして、ボディタッチなどによるオキシトシンの上昇が関与している可能性が考えられます。
もしそうであれば、オキシトシンが上がることを手放しで喜ぶことは出来ないのかもしれません。


オキシトシン濃度の上昇は、自分の属するコミュニティの構成員の間の絆を強くして、幸福感を高めます。
しかし、その分、コミュニティ外の構成員に対する阻害意識が高まるという負の面もあります。
その結果、コミュニティ外の人や犬に対する過度な警戒感や排除意識が芽生えてしまう側面があるのもオキシトシンが生む効果のひとつなのです。


犬とコミュニケーションをとる事でオキシトシンが増える事は、飼い主にとっても犬にとってもかけがえのない幸せをもたらします。
でも、それが、他の犬への攻撃性という面や、飼い主の独占欲という面として現れるのは犬にとっては必ずしも望ましいものにはなりません。
また、飼い主にとっても、自分の犬との世界が深まるのは良いのですが、他人への配慮が欠けたり、無意識に他者を排除する傾向が高まったりする事が無いように気を付ける必要があるのではないでしょうか。


物事には、必ず正の側面と負の側面がある。
当たり前のことですが、オキシトシンにも同様な事が言えるのではと考えます。


我が家も、椛を溺愛するあまり、盲目的にならないように気を付ける必要があるのかもしれません。


でも椛自身は、オキシトシンが上がりにくい、自由でつれないタイプの犬なのであまり心配しないで良いのかもしれません。
残念ですが・・・。

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