ヨーキー椛(もみじ)、ドッグダンスするよ!

顔も体も態度もでかいヨーキーの女の子、椛(もみじ)のドッグダンスやお出かけ、さりげない日常の出来事などの記録です。

エッセイ・アーカイブ~3.11の記憶『雨粒の力』 その1~

2011年3月11日に起こった東日本大震災。
時の流れは早いもので、あれから10年が経ちます。


あらためて、犠牲になった方々のご冥福をお祈りするとともに、ご家族や大切な方をなくされた方や被災された方が平穏な日々を取り戻すことが出来ますようにと願います。


防災という観点から考えると、重要な事のひとつに、災害の記憶の伝承があると思います。


震災の事を忘れないために、2012年に書いた文章を、そのままの形で載せておきたいと思います。


『雨粒の力』というエッセイです。

『雨粒の力 ~東日本大震災から1年~』


 ようやく少し春めいてきて、外来診療をしていても、花粉症の患者さんが増えてきました。
 花粉の飛散予報によると、今年(2012年)のスギ花粉の量は去年に比べて少ないとの事です。
 では去年(2011年)の今頃はどうだったかな?と考えてもなかなか思い出せない。
そのうちに当たり前の事に気づきました。去年の今頃は東日本大震災の前、たった一年前なのに遥かな昔に思えます。


 2011年3月11日、その日を境に我々を取り巻く世界は一変しました。
地震と津波の壊滅的な被害、福島第一原子力発電所の事故、それらを契機に止まらない経済の悪化、国の指導者の迷走・・・・。


 私の個人的な話をします。
 長年親しんだ渋谷区医師会の範囲内の渋谷区代官山町に、内科・漢方のクリニックを開院して1年半。
 ようやく軌道に乗りかけたクリニックの新体制をスタートさせたのが、まさにこの3月11日でした。


 午前中に来院した患者さんは過去最高の38名を記録し、『今日は忘れられない一日になるかもね。』と事務長と話したのを覚えています。
 地震があったのは昼休み、今後の事業展開について、ある観光業界の人と重要な打ち合わせをしている最中でした。
(ちなみにこれは、今後の命運を賭けた一大プロジェクトでしたが、日本を訪れる外国人観光客に対しての事業でしたので、今回の震災と原発事故でこの件は雲散霧消する事になりました)。
 ただならぬ長周期の激しい横揺れ、直下型では無い事は確信できたため、非常口を開ける事とカルテ棚、薬品棚を抑えて転倒を防止する事を行いながら様子を見ていました。
 スタッフに情報収集を頼みながらも、その時点では今回の大震災の全貌は想像もしていませんでした。


 震災発生後、電車などの交通機関は大混乱していました。
 とりあえず安全を確認した後、帰宅できそうなスタッフを適宜返しましたが、クリニックは通常通り開けていました。というか、私自身も帰る事が出来なかったのです。
 すると、同じく電車が動かなくて職場や出先から帰れない人や、たまたま代官山に遊びに来ていた人がぽつぽつとクリニックを受診しに来ました。
 皆クリニックで電車の運行状況を確認しては途方に暮れていました。
 クリニックをいつもの金曜日よりは早めの19時台で閉めたものの、私は相変わらず帰れずにクリニック内にいて、事務仕事をしていました。


 夕食をスーパーの惣菜で済ませた後、夜になって電車が動いたとの報が有り帰宅を決意しました。
 その日の深夜の渋谷駅の大混乱と大行列は非現実的な凄まじさで、鮮明に記憶しているにも関わらずどこか夢の中の出来事の様に思えてなりません。


 震災後、報道により被害の実態が明らかになるにつれ、我々は心を痛め、余震や原発事故への不安を強めて行く事になります。
 日常生活に於いては生活用品の不足が生じ始めていました。


 そうこうしている内に震災の影響はクリニックの運営にも及んできました。
 先ず医薬品が不足してきました。
 特に当クリニックで力を入れているLOH症候群(男性更年期障害)で使う男性ホルモン注射は実に95%が宮城県と福島県で生産されており、生産施設が壊滅的な打撃を受けていました。
 また、漢方薬もツムラの茨城工場が被害を受け、復旧のめどがたたない状況となり、当クリニックはLOH症候群と漢方薬治療というクリニックの二大看板に支障が出てきたのです。
 とりあえず当クリニックで治療中の患者さんの分の注射や内服薬の確保に全力を尽くしました。
 製薬会社や薬問屋の方々が必死になって薬を探してくれます。
 漢方薬などを内服している患者さんにも、不足している薬については各人2週間処方にさせて頂きました。
 皆様本当に快く協力してくださいました。
(続く)


『雨粒の力』、続きはこちら

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