エッセイ・アーカイブ~3.11の記憶『雨粒の力』 その3~
2011年3月11日に起こった東日本大震災。
時の流れは早いもので、あれから10年が経ちます。
震災により亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、かけがえのない人を失った方や被災した方が心穏やかな日々を取り戻すせる事を願います。
震災の事を忘れないためにも、2012年に書いたエッセイ、『雨粒の力』をブログに載せています。
前回の続きです。
私的な部分では母親の事と昨年建築を終えたばかりの実家の医院の事です。
福島第一原発の事を公的に聞かれれば、直ちに大きな影響はないと答えていましたし、原発事故で漏れた放射性物質の総量が例え発表の1000倍であったとしても、長崎の原爆の事例を見る限りは人体への影響は軽微である事は間違いないと確信していました。
しかし、福島第一原発に貯蔵されている核物質の総量は発表されている漏出量の数十万倍あり、それがすべて臨界に達すれば首都圏も避難区域になってしまいます。
最初のうちは政府発表を信じていたのですが、そのうち発表の内容に信憑性がなくなってくるにつれて、不安がつのりました。
母親の事も気がかりでした。
母親は今も現役の婦人科医として診療していますが、高齢者であることに加え、心臓病や膠原病があり、自宅での階段昇降もままならない状況にあります。
もし、避難という事になってもどうしようもありません。
また、自宅兼医院である医院の建築を終えてから一年弱、経済的な面でも、まだまだこれから頑張っていかなくてはならない時期にありました。代官山のクリニックの事も含めて、何が有ってもこの土地を離れる訳にはいかない状況でした。
3月末には、妻と共に恒例としていた目黒川のライトアップされた夜桜を見に行きました。
私がクリニックを開く場所を代官山にしようと決断した要因の一つに、この大好きな桜の光景があったのかもしれません。
2011年の桜は例年にも増して見事でした。しかし、節電の影響でライトアップは自粛。ひっそりとした夜桜でした。
中目黒駅に近い目黒川沿いのベンチに座り、妻と一緒に持参したLED懐中電灯で夜桜をセルフライトアップしながら缶ビールを飲みました。
『原発の貯蔵燃料がすべてまき散らされたら、東京は住めなくなる。それでも僕はここにいる。何が有っても来年の桜を見に来る。でも、来年何事もなかった様にライトアップされた桜を皆で見る事が出来たら、神様に感謝しよう。』と言ったのを覚えています。
もうすぐ、目黒川の桜が咲きます。
(続く)
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