エッセイ・アーカイブ~3.11の記憶『雨粒の力』 その6~
2011年3月11日に起こった東日本大震災。
時の流れは早いもので、あれから10年が経ちます。
震災により亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、かけがえのない人を失った方や被災した方が心穏やかな日々を取り戻すせる事を願います。
震災の事を忘れないためにも、2012年に書いたエッセイ、『雨粒の力』をブログに載せています。
前回の続きです。
被災地の現実に私は打ちひしがれました。
医療ボランティアじゃなきゃ嫌だなどと言っている場合ではない。何でも良いから、今できる事をやろうと心に誓いました。
その一週間後、私は水没したフィルムや写真の復元作業のボランティアを行いました。
私は高校時代から写真を趣味にしていましたが、こんなところで役に立つとは思いませんでした。
津波ですべてを失った人々の思い出の品、生きてゆく証を取り戻す作業、やりがいを感じました。
津波をかぶった後は、水没というよりは“泥没”とでも言うような状態になっています。
重く粘土状になった土の塊の中に全てのものが飲み込まれています。
泥は空気を含まず、いつまでも湿っていて、表面から少しずつ白く乾いていきます。乾いた表面からは砂より細かい微粒子が風と共に舞い上がります。
空気を含まない泥の中では酸素を必要とする通常の細菌は育たず、嫌気性菌というカテゴリーの細菌や各種ウィルスなどが生育します。
この病原体を含んだ泥を気道から吸い込むと難治性の気管支炎などになりやすく、皮膚に付着すると皮膚炎の原因となります。
そのため、夏でも防塵マスク使用や長袖の作業着での活動が重要になります。
もっと深刻な問題もありました。破傷風感染です。
嫌気性菌の代表である破傷風菌は、傷口から侵入すると生命を損なう疾患を起こす可能性もある恐ろしい病原体です。
通常でも土の中に埋もれている木片などで怪我をすると破傷風に感染する恐れがありますが、津波の後の泥の中は嫌気性環境であるため、破傷風感染のリスクが桁違いに高まります。
一緒にボランティアをしている仲間が指を怪我しました。泥の中に埋もれていたガラスの破片が軍手を突き破って人差し指に刺さったのです。
幸い傷は動脈に達する様なものではなく、消毒と止血だけで済みました。
私は彼に、破傷風のワクチンを注射しているか聞いてみたのですが、その答えは『判らない。そもそも破傷風って何?』というものでした。
他のボランティアにも同様に聞いてみたのですが、破傷風という病気の事もワクチンの事も正しい知識を持っていない人が大半です。
医療従事者以外の私の友人も同じ様な状況です。
またボランティアに参加する時にその辺の説明があったという人は一人もいませんでした。
この現状は何とかしないといけないと痛切に感じました。
もちろん怪我をした彼には、状況を説明して医療機関を受診させました。
次の土曜日の朝、私は仙台市にいました。
仙台市庁舎、宮城県庁舎、ボランティアセンターなどを回って、破傷風の知識をボランティアに通知する事の重要性について話して回る予定でした。
破傷風という病気の怖さやワクチンの有効性、ボランティアや地元の人など瓦礫撤去などの作業に従事する人たちへの啓蒙活動など、今までの医師としての経験や実際に現地を見て判った事実、啓蒙活動のアイデアなどを説明し、理解していただく。
簡単なレジメも作って準備しました。
その時点でボランティアの方の中で数名の破傷風感染が疑われる方が出たという事もネットで判明していました。
幸いな事に亡くなったボランティアの方はいない様でしたが、早急に対策をする必要があると思われました。
しかし、どこへ行っても何故か門前払いでした。何だかおかしなクレーマーが来た、位に扱われた感じです。
ようやくある組織の担当者が会ってくれる事になりました。
私は資料を見せながら担当者に説明しました。
『破傷風は感染し、発症すると生命にかかわります。しかし、あらかじめワクチンを接種する事で生命を失うリスクを極めて小さくする事が可能です。特にボランティアに来た方が破傷風で亡くなったりする事は、絶対にあってはならない事態です。そのうえ、それがおかしな形で報道されたりしたら、ボランティア活動というもの自体に大きく支障をきたす事にもなりかねません。』
それに対してその担当者は、破傷風やワクチンの情報を広める事については、
『ボランティアの人たちは純粋な善意で来ている方々です。彼らは、そんな複雑な情報を知らされる事は望んでいません』。
破傷風からボランティアの生命、健康を守る事については、
『ボランティアの人たちは覚悟をもって来ているので、(破傷風ワクチンなどは)必要ないはずです』
と言われました。
覚悟って何の覚悟でしょうか?
被災地に来るボランティアの人たちは皆、破傷風に罹って死ぬ覚悟をもっているとでも言うのでしょうか?
他にもいろいろ話をしましたが、全く取り付く島もありません。結局、何も出来ないまま東京に帰ることになりました。
(続く)
『雨粒の力』、続きはこちら
最初から読むには、こちら