エッセイ・アーカイブ~3.11の記憶『雨粒の力』 その7~
2011年3月11日に起こった東日本大震災。
時の流れは早いもので、あれから10年が経ちます。
震災により亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、かけがえのない人を失った方や被災した方が心穏やかな日々を取り戻すせる事を願います。
震災の事を忘れないためにも、2012年に書いたエッセイ、『雨粒の力』をブログに載せています。
前回の続きです。
(石巻駅にあるモニュメントの前で撮った写真です)
東京に帰ってからも、破傷風の事を啓蒙する事はあきらめきれずにいました。
『これこそが私のするべきボランティア活動だ!』と自分の心が確信していました。
何か良い方法があるはずです。
しかし、私は医師としては全くの無名で、さしたる政治力も無く、開業したてで経済力も全くない身です。
何か良い方法はないものか?
その時ふとひらめきました。破傷風ワクチンをボランティア限定で無料接種したらどうだろうか?
そしてそれをネットや口コミで広めていったら、宣伝に資金をかけなくても何とかなるんじゃないか、と考えたのです。
しかし、やっとかろうじて黒字になったばかりのクリニックです。
ここで院長が独断でワクチンの無料接種など始めて、従業員がついてきてくれるか心配でした。
そこでクリニックの事務長に相談しました。
『ボランティア向けに、破傷風ワクチンを無料で接種する事を考えているんだ。資金的に無理ならしょうがないけど。』
事務長はすぐに後押ししてくれました。
『すばらしい。ぜひ無料でやりましょう。』
剛毅で頼りになる男です。
すぐになけなしの予備資金をつぎ込んで破傷風ワクチンを買い込みました。
幸いな事に、うちでは渡航者向けのワクチン接種を以前より行っていたため、ワクチン希望者の予約、日程管理などは経験の蓄積があります。
後はクリニックのオフィシャルページにコラムを書いてボランティアの方々の申し込みを待ちました。
こうして破傷風ワクチンの無料接種が始まったのです。
その後1~2週間はあまり反応がありませんでした。
最初の電話は友人の医師からでした。
彼は愛知県で勤務医として働いています。彼とは以前よく私の車で山道を走りに行ったものです。
電話の内容は、『破傷風ワクチンの話題を検索していたらお前のコラムに行きついた。開業の資金繰りのために自動車まで手放したと聞いていたが、大丈夫なのか?破傷風ワクチンの購入代金とかどうしたのか?』というものでした。
ワクチンの購入は全てポケットマネーで、もう貯金も無いが大丈夫、何とかなるさ、と言うと、『まあ、お前らしいな』と呆れられました。
反響の少なさにしょせん無謀な試みだったのかな、と思い始めた初夏頃に徐々にボランティアからの問い合わせが増えてきました。
ネットで知った人もいますが、口コミで来てくれる人が多かったのは嬉しい限りでした。
ボランティアには様々な人たちがいました。学生から60代まで幅広い年代、週末ボランティアから長期滞在、外国人の方のボランティアが多かった事にも驚かされました。
何人かの方からはボランティア先から葉書を頂いた事もあります。これが嬉しかった。
お土産を下さった方もいました。中には無料では申し訳ないからとお金を払いたいと言って下さった方もいます。そういう場合はいつもこう言います。
『もしお金を払ってくださるつもりがあるのなら、その分、現地で買い物をして下さい。震災後、懸命に頑張って商売をしている人たちを支えてください。それが、当クリニック一同の願いです。』
気が付けばボランティア向けの破傷風ワクチンは500件を超えていました。
秋からは東京都などの自治体が破傷風ワクチンのボランティア向け無料接種を決めましたが、それを決めるための要望書に『すでに一部医療機関では自主的に破傷風ワクチンの無料接種を行う動きもあり』という表現がなされています。
一部医療機関とはうちの事も含めての事でしょうか?そうであれば、少し目指した“医療支援”になった気がしました。
我々を取り巻く状況を“世界”というならば、ほんの僅かでも“世界を変える事”が出来たでしょうか。
昨年末に件の友人に冗談で『有料でやったら、車が買えたのに』と言われました。
確かにそうかもしれません。
しかし、私にはクリニックがあり、素晴らしいスタッフに恵まれ、とりあえず食うに困らず、雨風をしのぐ部屋があり家賃が払える。
愛する家族がいて、犬もいる、当座これ以上望むものはありません。
(続く)
(希望の花。石巻の津波で流された家の跡地にひっそりと咲いていました。)
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