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エッセイ~バロン滋野と志賀直哉~

今日12月19日は、日本人初飛行の日です。
それにちなんだ記事はこちら


上の記事にも書いた、日本人として第一次世界大戦にフランス軍として志願参加した滋野清武(バロン滋野)。
日本人初飛行ではなかったものの、直後に飛行機の高度記録を出すなど卓越した飛行技術を持っていました。
その後、結婚二年後に妻を亡くしフランスへ渡ります。
第一次世界大戦では、フランス陸軍航空隊に志願し、その後外人部隊へ。
公認記録だけで6機撃墜して、日本人初のエースパイロットとなり、レジオン・ドヌール勲章などを受けます。
特に初撃墜の際、偵察爆撃機で敵の駆逐機=戦闘機を撃墜したエピソードは、当時のフランスで大々的に報道され、喝采を浴びたとの事です。
その後、病気療養中に戦争未亡人ジャーヌに出会い再婚。
帰国後42歳の若さで病死しています。

そのバロン滋野ですが、この人の本にも書き記されています。
その本とは、志賀直哉の『人を殴った話』です。
その登場人物のSというのが滋野です。


滋野は、12歳時に学習院初等科時代に通っていましたが、一年上に志賀直哉、有島壬生馬、松方義輔らがいました。
『人を殴った話』には、『Sの父は日清戦争の時の陸軍中将で、男爵になった人だが、もう亡くなっていて、Sが男爵をついでいた。陰性なたちで、皆が運動場で騒でいるような場合にも、仲間と小使部屋で、密かに煙草を喫っているというような子供だった。痩せて、ヒョロヒョロと高く、無表情の青白い顔には何か傲慢な感じがあった』とあります。
ある日、志賀直哉は、かねてから面白くないと思っていたSこと滋野を集団で殴ります。
その後日、仕返しに石を投げてきた滋野を追いかけて返り討ちにします。
『Sは私に復讐をしたつもりだったが、直ぐ又、その仕返しをしたわけである。』
と書かれています。


『人を殴った話』は、こんな風に結ばれています。
『Sは欧州の第一次大戦当時フランスにいて、飛行将校として戦争に参加し、勲章などを貰い、フランス人の細君を連れ、飛行機を持って、日本に帰って来た。帰ってから何か飛行機関係の仕事をしていたように思ふ。婦人雑誌に混血の赤児を中に細君と写した写真が出ていた事がある。そして間もなくSは胸の病気で亡くなった。今頃になって、如何にも孤独だったSに対し、気の毒な気もするのだが、然し、兎に角、妙に人に好かれぬ男だった。』

志賀直哉といえば、人や物の好き嫌いが激しい事が知られています。
最も美しい日本語を駆使する作家と呼ばれていた志賀直哉ですが、ある時、フランス語を日本の公用語にしてはどうかと言い出したことがあります。
今ではこれは、気分屋の志賀直哉の戯言での発言と見なされています。
けれども、私は、志賀直哉の中に密かにフランスへのあこがれがあった。
そして、後輩の滋野がフランスで活躍した事が実は羨ましかったのではないか。
そんな事をついつい考えてしまいます。

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